森のとなり

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朝早い商店街は、まだ静かであった。喫茶店の2階に陣取った僕たちは、スポーツ新聞を読みながらも、店内のある二人組みを監視していた。僕たちが長年追っていた事件がやっと解決するかもしれない。その期待と不安が入り混じったまま、苦いアメリカンをすすりながら、緊張感は高まっていくのを感じた。

10年経っていてもあの事件は忘れることは出来なかった。あの時も朝焼けがまぶしい港の倉庫街で麻薬の密輸の取引が行われるとの情報が入り、僕たちは緊急出動することになった。港の倉庫街は静まりかえっており、そのような取引が行われる様子はなかった。ガラガラという鉄扉をあける音が港に響いた。

僕たちは、すぐにその倉庫を取り囲んだ。倉庫の小さな窓からは、光が漏れていた。窓のガラスが曇りガラスだったので内部の状況を判断することはできなかった。僕たちは二人づつのペアとなり、正面口と裏口にまわることにした。突入するタイミングは、僕に任せられていた。僕はすこし躊躇ってしまった。

そのときに僕の小型イヤホンから乾いた爆発音がした。マイクで裏口に回ったマコトとトシヒロに応答を求めた。しかし、応答が帰って来なかった。僕はパートナーのタツヤに目で合図を送り、裏口に回った。そこには血痕が生々しく残っていた。その他に遺留品として残っていたのはタバコの吸殻だけだった。

その後、署内での僕たちの風当たりが強くなった。仲間を見殺しにしたという噂が署内に広まっていた。実際には見殺しにしたわけではなった。なぜならば、マコトとトシヒロは行方不明ということで、死んだわけではなかった。この事件は、社会への影響が大きすぎるという理由で公開捜査にはならなかった。

もちろん、僕はこの事件の担当から外された。そして、僕は別の部署への異動となってしまった。刑事課から生活安全課へと異動することに何も躊躇いがないといえば嘘になる。生活安全課は市民と近い存在であるがわかり、市民から寄せられるあらゆる苦情を処理することは、かなりのハードワークであった。

あの事件を忘れさせてくれるほどの忙しさだったので、僕にとってはちょうど良かった。刑事課の友人に聞くところによると、迷宮入りしたみたいであった。何も出来ない自分に怒ったが、生活安全課では仕方ない。そして、10年の歳月が流れ、ある事で事件の核心に迫ることになるとは予想だにしなかった。

それは珍しく暇な昼下がりであった。電話が鳴り喫茶店のマスターからであった。喫茶店に向かうと、マスター曰く、あやしい人が2階の喫茶スペースにいて困っているらしい。僕が2階に行ったときには、すでにあやしい人影はなかった。タバコの吸殻だけが残っていた。タバコの銘柄は「さくら」であった。

「さくら」というタバコの銘柄は既に生産が終了しており、在庫のみの希少性の高いタバコである。トシヒロが好んで吸っていたタバコであり、10年前の事件の唯一の遺留品でもあった。僕は10年前の事件を解決するような直感が身体中に電撃のように走った。翌日から僕のひとりの孤独な戦いが始まった。

目覚めのコーヒーをここの喫茶店で飲むのは何日目だろうか。僕があやしい見込んだ二人組みに動きはない。僕の見当違いであったのかもしれない。その時に二人組みのひとりの携帯電話が鳴って何か焦って話している。携帯電話を切ると二人組みは急いで喫茶店を出て行った。僕はすぐに後を追うことにした。

商店街を人ごみを縫うように早足で駆けていく二人組み。僕も見失わないように、しかし気付かれないように距離を保ちながら二人組みを追った。商店街の途中から脇道に入り住宅街のほうへ二人組みは歩いていく。二人組みの歩くスピードはまったく変わらなかった。すると目の前には大きな緑が見えてきた。

二人組は、ぼろい木造アパートに入っていった。そこが彼らのアジトのようだ。その日は夜まで外から見張っていたが動きがまったくなかった。このまま外で見張っている訳にもいかないので、近くの賃貸マンションを借りることにした。その賃貸マンションはアジトの後に建っていて見張りには最適であった。

見張りをするのはもったいないぐらいのデザイナーズマンションであった。その特徴的な外観は後側に広がる緑の森とは好対照の白い外観であり、木製サッシの優しい表情とアルミ製の軽やかなルーバーが心地よくマッチしており、ここが都心であることを忘れさせてくれるような癒やしのベールを纏っている。

外壁の大きな切り口となっているのが建物エントランスだ。そのエントランスを入るときに垂直の壁に挟まれているので足音が心地よく響き緑の森に消えていく。共用廊下から見上げる青空は、白い壁とのコントラストで限りなく透明に近いスカイブルーとなっている。玄関ドアを開けると部屋は光に包まれる。

南側に面する大きな窓は、木製サッシで出来ている。さらに結露防止に有効であるペアガラスが標準装備されていることも見逃せない。メゾネットになっているので2階から3階からどこからでも外を見ることができる。窓の外にあるルーバーの動きも軽やかで動かしていて楽しい。こんな楽しい気分は久々だ。

無垢のフローリングが階段の段板にも使われているので、どこにいても足から木の温もりがジワーと伝わってくる。その木の温もりを感じながら、僕は目の前の敵と戦わなければいけない。とりあえず、その戦いに備えて今は森の優しさに包まれながら眠りにつこうと思う。明日はくる。明けない夜がない限り。